タイトル: 久しぶりに尾瀬へ
ランナー: 会員
藤谷 一   さん 

はじめに

    私は、21年前「尾瀬ケ原ハイキングと湿原の水素イオン測定結果について」という稚拙な文を「叶友貴」名で機関誌EQUAL Vol.9に載せて頂きました。
    このたびサッカー繋がりの面々と昨年7月に尾瀬に行くことが出来ましたので、私が観て感じたことを綴ってみたいと思い立ちました。
    お付き合い下されば幸いです。

1 尾瀬への遠い道程(その前に)

    定年退職し、嘱託職員として 勤め始めた職場では、朝会の後にラジオ体操を行うことにしておりました。文字通り久しぶりのラジオ体操でしたが、驚くことにちゃんと身体が覚えていてくれました。もっと驚いたことは、バランスがとれずよろけてしまうことでした。予期せぬ事に愕然としてしまいました。
    これではいけないと、NHKラジオ第1の朝6時30分からのラジオ体操を毎日続ける事とし、昼寝タイムであった昼休み時間に早足の散歩をすることとしました。昨年、4年目を迎え何とか格好が付いてきました。

2 尾瀬への道程(体力試験)

    友人 H 君ご夫婦がハイキングや登山をしている事を知っておりました。また、H君も私が若かりし頃登山をしていたことを知っておりました。しかし、私の身体が鈍っていることを見抜き、「一緒に」との声をかけてはくれませんでした。飲んだ機会に、山の話となり、懐かしく大変盛り上がったので、頃合いをみて「一緒に山に行かないか」と声をかけてみました。飲んでいるのに何故か冷静なH君は、「それではまず雄国沼へ行ってみよう」と、提案してくれました。
    それから、市内のスポーツ用品店で妻の分も含めて、まずは格好からと靴やザックをはじめ衣装を整え、会員カードまで作ってしまいました。
    2015年7月4日、早朝3時頃、共通の友人と2人でいわきを出発し、入口の雄小沢駐車場に5時30分頃到着。福島からH君ご夫婦がまもなく到着し、車内で朝食を済ませ、雨模様の中4人で歩き始めました。実地試験の開始。
    雨の中散策路を一周し、何とか試験を好成績?!で通過。磐梯町の食堂でソースカツ丼を食べ、次回を期し分かれました。

3 ついに「はるかな尾瀬2015」へ

    メンバーは雄国の4人、柏のO君、会津のS君夫妻、市内からK・S両君、マイワイフの総勢10名。沼山峠から尾瀬沼を経由し見晴の山小屋に1泊、次の日は檜枝岐温泉で入浴し身支度を整え、羽鳥湖近くのO君の社有保養所に1泊という7月18日から20日、2泊3日の豪勢な行程です。
    いわきから二手、それからH夫妻とO君は前泊の羽鳥湖の保養所から、そしてS夫妻と4組に分かれ連絡を取り合いながら各地を出発。田島のコンビニ駐車場で合流し、ちょっと仕込んで直ちに檜枝岐そして御池駐車場へ.
    御池は当時と変わっていないようでしたが、駐車場に自動管制機が設置されているとは!
    到着後身支度を整え、災害復旧仕立ての道をシャトルバスで沼山に到着。20代に会津経由で初めて来たときは、沼山駐車場まで自家用車で入れたことを懐かしく思いながらの車中でした。
    沼山も変わっていませんでしたが、売店の品数が増え、木製テラスが配置されており観光地化?されているように思われました。バス到着順に出発するせいかさほど混み合ってはおりませんでした。
    小雨の中、沼山峠を越え大江湿原を経由尾瀬沼ビジターセンターへ。峠道が全て木道化されており、滑りそうで特に下りは細心の注意が必要です。
    大江湿原を見渡し大変驚きました。峠からの眺望もそうでしたが、草木が大きく育って全体として「モワット」しているように観えるのです。以前はもっと「シャープ」で、「可憐」だったように思えるのです。また、湿原のニッコウキスゲもほぼ満開状態でしたが、草の中に咲いている状態で「一面の黄色の絨毯」状態ではありませんでした。スクッと立ち咲いていたはずでしたのに。だからと言って、私にとって尾瀬の価値が低くなったということではありません。ただただ変化に驚くばかりでした。
    沼岸に建っていた平屋の長蔵小屋は無くなっておりました。かつて子供の保育園の園児父母達と貸切りで泊まった小屋でしたが、時の経過を実感致しました。
    イレ休憩後、沼尻休憩所を目指して出発。コースが三平下経由ではなく燧ヶ岳側がメインとなっているのにも驚きました。二度ほど燧ヶ岳に登るために登山口までは利用したことはありましたが、通り抜けるのは初めてでした。途中に鹿避けの柵が設置されており、ニュース等では見聞きしておりましたが、生態系の変化を目の当りにしました。
    沼尻で大休止。雨なので休憩所の中は混んでおりました。かつて長蔵小屋からボートで店員と荷物を運搬しているのを見たことがありました。その桟橋が残っておりましたがかなり朽ちており、今は水上を利用していないものと思われます?
    沼尻休憩所から白砂峠に向かって直ぐの左側に廃山小屋跡があったように記憶しておりましたが、痕跡もありませんでした。また、白砂峠には水場があったはずですが、飲めると標示されている水場はありませんでした。水系も変わったのでしょうか。
    2時間位歩くと見晴です。当時と同じように山小屋が配置されておりましたが、いずれも新しく規模も仕掛けも大きくなったように見えました。泊まった小屋も室内が当時よりも明るく快適でした。何よりも廊下が広い。風呂が利用できるのは当時と同じです。雨模様なのでアルコール変調をかけ床に入りました。
    次の日、同室者と朝早く起き竜宮まで散策に出かけました。驚くことに、竜宮までの木道際に池塘がほとんど見受けられず笹や茅?(草原のよう)が生え、陸化がかなり進んでいるようでした。もう水素イオン濃度を測ることは無理でしょう。また、竜宮までに六兵衛堀と沼尻川(福島県と群馬県の県境)という2本の川岸の樹木が大きく成長し見通せなくなっておりました。尾瀬ヶ原が木道から見ると3つに分割されているようで、竜宮小屋まで行かなければ山の鼻方面は見渡せなくなってしまいました。
    たかだか20年足らずの期間に、尾瀬ヶ原がこれ程変化しているとは、想像すらしておりませんでした。環境の変化は、100年1日の如くゆっくりと着実に気付かれないように変遷するものと思っておりました。尾瀬の生成史から観たら一瞬にも満たない年月に、超々猛スピードで安定化?へ向かって突っ走っているように観受けられます。この様な急激な変化を促す環境下に、今が在るということなのでしょうか。
    自然景観を「雄大」とか「悠久の時を経て」とか表現しますが、相対する「繊細」で「儚い」一面を持っていることも忘れてはならないでしょう。

4 さらに

    かつてシーズン中の檜枝岐は、ハイカーや観光客が村内を散策し、食堂や土産物店そして民宿なども賑わっていましたが、今回は散策するハイカーや土産物を物色するお客も見受けず、公衆浴場と昼食に入った蕎麦屋に見掛けただけでした。そうそう、公衆浴場近くの民宿の店先で4・5人がバーベキューをしていたのが印象的でした。歌舞伎の時以外は閑散とした街となってしまったのでしょうか。
    浦島太郎ほどではありませんが、変化を実感した尾瀬への旅でした。