タイトル: 避難生活を経て
ランナー: 会員
高倉 温子   さん 
    今もなお、大きな余震が続きますが、揺れを感じる度にあの東日本大震災のことを思い出します。
    当時、育児休暇で休職していた私は、福島第一原子力発電所の事故の後、当時五か月だった子供を連れて東京に避難しました。親戚の家で過ごした後、旧赤坂プリンスホテルを経て、最後は浅草のホテルで、仕事に復帰する直前まで過ごしました。
    赤坂プリンスホテルでは、同じように子供連れのお母さん達が福島から大勢避難してきていて、皆一様に放射能の目に見えない不安と先の見えない不安を抱え、「いつ戻りますか??」「放射能の影響ってどうなんでしょうね?」そんな会話が話題の中心でした。 慣れない東京で小さい子供を抱えての避難生活は不安が多く、早くいわきに戻りたい、とばかり考えていましたが、
    そんな辛い避難生活でしたが、今振り返ると貴重な体験だったと思います。 避難を受け入れて下さった東京の自治体の方々や、ボランティアの方々が本当に良くして下さり、子供のこと、生活のこと、精神的にも本当に助けていただきました。 私は「見ず知らずの私達をこうして力を尽くして助けてくれる・・。他の場所で災害があった時、私は被災した人達のために何かしようとしただろうか?」と自問自答しました。 自分が「被災者」になって初めて、自問自答したのです。     いわき市へも多くの方々が、自分の時間とお金を使ってボランティアに来て下さいました。このことを何かの形でお返ししたい、と強く思いました。
    それから、東京での避難生活では、炊事場がなく、自分で調理をすることはほとんどありませんでした。出していただいた避難食をいただいたり、外食やお店で買ってきた物を食べたり。確かに、家事をすることもなく「楽」なのかもしれません。 ですが、そんな生活は、改めて普段の生活ができることのありがたさを感じさせました。 震災前には、炊事、洗濯、掃除、と働きながらこなして、「大変だよね〜」と思っていました。 時には、「全部だれかがやってくれないかな・・」なんてふとどきなことも考えたりしました。
ですが、大変でも、そうした「日常」をこなしながら、自らの力で生活していけることは、生き生きと暮らしていくためには大切なことなんだ、と感じたのです。 自立した生活をする、という言葉は、よく障害者が生き生きと暮らしていくために必要だと、障害者支援としても耳にもしますが、本当にそのとおりだ、と思いました。 そんな気づきに加えて、田舎者の私が東京での暮らしを体験できた、というのも貴重な体験の1つかもしれません。
今もまだ、大きな余震があり、福島第一原子力発電所も危険な状態が続いています。
このような体験は確かに貴重な体験でしたが、やはり辛い体験であったことには変わりありません。再びそのような状態にならないことを願うばかりです。