タイトル: 「運」と「縁」
ランナー: 会員
芥川 一則   さん 
   ほとんどの人は、運というものを気にするようだ。科学技術が進んですべてのことが解明されたように思われがちであるが、 今日はどんな1日であるかを知ることはできない。このため、朝のテレビ番組や新聞の運勢の欄を気にする人が多いのではないだろうか。
   以前、ある方に「運」とは何かと聞いたときに、「宝くじに当たること」という答えを頂いた。良き出会いは「運」ではなく、 「縁」ということらしい。堅苦しい話になるが、私なりに「運」と「縁」を定義してみたい。
   「運」とは人が関与できない事象とする。宝くじの抽選では人が抽選器のボタンを押すという行為はするが、 その当選番号を操作できない。では、一般的な応募による抽選はどうなるかというと、人為的な操作が可能である。 葉書による応募では、その葉書をみて選ぶという行為がされているため、人の恣意的行為が含まれている。
   「縁」とは人が関与している事象とする。出会いは、文字通り人と人が会うことである。これは人為的な行為であり、 学校や会社内でのできごとはすべて「運」ではく、「縁」ということになる。    「運」を良くする方法が、巷の書店に並んでいるが、どうも胡散臭く思える。しかし、「縁」を良くする方法であれば、 人と人の関係であるから、どうやら何とかなりそうな気がしてくる。周りにいる「縁」のよい人を観察すると共通性が見えてくるのではないだろうか。
   私見であるが、コミュニケーション能力と「縁」は相関性が高いように思われる。 いくら知識があってもそれを相手(人)に伝えなければならない。つまり、相手に伝えて初めてのその価値を生じることになる。 人に伝えるツールとしての能力と考えれば、伝え方の上手な人間は、人としての価値も高まり、その価値を求めて人が集まることとなる。 そう考えればコミュニケーション能力を高かめる意欲も沸いてくるように思われる。