タイトル: 地球温暖化防止と涙
ランナー: 会員 (福島工業高等専門学校 非常勤講師)  中西恒雄 さん

 今、リレー・エッセイを書いている私の書斎の温度は10℃である。昨年までの会社勤務では、25℃位でも暖かいと感じなかったことを考えると大きな変化である。
  書斎の暖房方法は、堀こたつの足元に小さな電気あんかが2個(合計80W)あるだけ、その代わり、膝掛けを厚く、服装も部屋着でなく、外出着に近い格好である。
勿論、最初は省エネをするために始めたことであるが、冬に入り、最寒の季節になった今では、やせ我慢で続けている訳でなく、続けている間に、不思議なことに、それが普通になってしまった。寒い部屋に居ることが苦にならず、パソコンに向かって、講義資料作りをするには寧ろ眠くならず、良い環境とも思えるようになってきた。
  考えてみると、照明にしても、昔は暗い部屋で、読書や針仕事など何の問題も無くできたことを考えると、人間はどんどん退化しているのではないかと思う。
  個人的には、地球温暖化はもはや引き返せない所まで進んでしまったと思っている。以前は何故か、あきらめの気持ちが強く、進んで省エネを行うことも無く過ごしていたが、孫が誕生し、大きくなるにつれて、考えが変わり始め、今では、最悪の日が来るのを少しでも遅らすことができればと願うようになってきている。
  そんな動機で始めたことの一つが、暖房を弱くすることであった。電気は、家中の待機電力などのムダを少なくし、照明はほぼ全てを省エネ効果の大きなものに交換したこと等により、前年同月に比べると約30〜40%の節電となっている。暖房用の灯油も半減したようだ。また、健康を考え、歩くことが多くなり、車を使うことが少なくなった。
  最近、地球温暖化に関する報道が急激に増加しているのは、それを裏付ける異常気象、異常現象が世界各地で続発している為であろうが、それでもなかなか世界規模の温暖化防止対策が進まないのは、いくつかの理由がありそうである。
  排出大国のアメリカ、中国の世界協調への抵抗は分かる気もする。アメリカは国の誕生から独立心が強く、世界のリーダーとの意識があり、他国の案に賛成するなど悔しくて出来ないだろうし、中国は国名の通り、中国が世界の中華(中心)と思っており、他国の提案には素直に賛成できない国民性であろう。
  反対に、我が日本国民はその点は奥ゆかしいというか、自信がないというか、自国の提案には拘らない良さ(?)を持っている。一方、欧州は別な面を持っているのは、アメリカや中国のように広大な領土を持たないため、国内を流れる河川の上流が他国で、下流も他国との状況の中で、全体で協調しないと、生きて行けないことを身をもって感じているせいかもしれない。
  ゴミの分別、風力発電、太陽光発電、自動車の乗り入れ規制など多くの先進的な取り組みが国全体で行われていることは注目すべきことであろう。日本の実情は、多くの人が指摘している通り、民間の省エネ、環境対策技術は世界最高、一方、官の指導力は3流、4流と揶揄されている。では、市民活動はどうかというと、一部の(一握りの)市民グループが前向き、積極的に活動しているが、大きな流れ(変革に)到っていないのが実情であろう。どうすれば、国が変わるのか、最近の出来事より、感じたことがある。一つは、肝炎訴訟問題、あれほど頑なに抵抗していた国(というより、官僚)が変わらざるを得なかったのは、マスコミと国民感情であろう、アメリカの大統領予備選でのヒラリー候補の涙と肝炎訴訟の涙に通ずるものがあるのかも知れない。こんなことを書くと多くの女性より、お叱りを受けるのは間違いないが、矢張り、「女性の涙」には強いインパクトがあるのだろう。しかし、それは女性の強さの証かも知れない。最近、男性が弱くなり、学校でも成績が良く、元気がよいのは女子学生であり、男子学生は恥ずかしそうに、静かにしている。女性の男性化、スポーツ、酒、タバコ、パチンコ、競馬など男性の世界がすっかり侵略されてしまっている。女帝の誕生も時代の流れかも知れない。
  話が思わぬ方向に行ってしまったが、まとめとしては、マスコミと女性の指導者による市民運動が協調し、そこに少しの涙が加われば、国をも動かすことが出来ると信じている。我ら、老いたる男はそれを影ながら応援する役割のようである。