タイトル: 食品リサイクルを考える前に
ランナー: 会員  大平恭二. さん

  私の好きなTV番組のひとつに『素敵な宇宙船地球号』がある。文字どおり地球規模のテーマから日常生活まで、幅広い環境問題を非常に分かりやすく解説してくれる。取材にも力を入れており、タイムリーな話題が多い。
  2008年最初の放送では「シリーズ日本の食2008 Vol.1 フードバンクの挑戦」と題して、現在のわが国の “食” をめぐる環境から “食品リサイクル問題” にスポットを当てていた。昨年(2007年)が食にまつわる偽装問題に明け暮れたという背景もある。
  簡単に番組の内容を紹介してみる。
  飽食の時代と呼ばれて久しいわが国では、家庭と食品を扱う企業から年間2,320万トンもの食品廃棄物が出ている。食料自給率がわずか39%という国なのに、である。
  その大量に排出される食品廃棄物の原因の中には、国が定める「消費期限」(傷みやすい食品に義務付けられている表示)「賞味期限」(それ以外の、期限内なら美味しく食べられるとされる表示)のほかに、客がすぐに食べないことを想定して、コンビニなどの店側が独自に設定している「販売期限」がある。
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  番組では消費期限と賞味期限の違いを簡単にこう説明していたが、改めて調べたところ次のようであった。
  消費期限とは “製造日を含め5日以内で飲食に値する品質を保証できなくなる食品に付加される期日表示。安全に食べられる期間は、食品検査センターでの細菌の増え方のチェックによって決められるもの” をいう。
  賞味期限は “その期間内であれば美味しく食べられるとする、食品の期限表示。以前の食品表示は製造年月日が主に用いられていたが、1995年4月よりこの表示に変更され、日本農林規格(JAS)法と食品衛生法によって定義されているもの” である。
  具体的な例では、「消費期限」は、弁当、食肉、低温殺菌牛乳など、製造日から約5日以内に消費する傷みやすい食品に表示され、安全に食べられる期限を示したものであり、「賞味期限」は、レトルト食品、缶詰、インスタント食品など、製造日から約6日以上日持ちする食品に表示され、味や安全性などが保証される期限を示したもの、ということになる。要は、製造日から5日間日持ちする食品かどうかによって、どちらの表示を使用するか決まるということらしい。なぜ5日を境にしているのかは分からなかったが。
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  番組では、「消費期限」や「賞味期限」ではなく、特に「販売期限」と企業側の過剰な品質管理に注目していた。冷凍食品を例に、外箱(ダンボール)に傷があるだけで中身に問題がないのに廃棄物扱いされている事実を伝えていた。
  そこに着目したのがアメリカからやって来たひとりの起業家。彼は日本国内の40社ほどと提携し、「もったいない」の精神で、まだ期限が残っていて十分に美味しく食べられる食材を、必要としている施設などへ供給している。いわゆるフードバンクである。画面には、何らかの理由で親と一緒に暮らせない子供達が暮らす児童養護施設が紹介されていた。できるだけ子供達に手厚い支援をしたいと語る施設長さんは、少しでも食費を倹約してその分を教育費などへ回したい、そのために品質に違いがないのに格安で食材が手に入ることは大歓迎だ、と答えていた。フードバンクを運営する某米国人起業家は、他にも北千住の低額所得労働者やホームレスの人々にも手を差し延べている。
  番組の最後では、廃棄されたコンビニ弁当などを回収し飼料に加工して養豚に供することにより、その食肉がまた店頭に並ぶというリサイクルの取り組みが始まっていることを告げていた。

  たしかに、食品以外の生活物資が様々なかたちでリサイクルされているのだから、最も身近な「食」の分野でもリサイクルの必要性は重大である。循環型社会を構築していくためのキーワードとして「3R」は有名だが、今回の番組では「Reuse(再使用)」(捨てられようとする食材をきちんと食べることは “再使用” には当らないが)と「Recycle(再資源化)」は取り上げられているが、肝心の(私は最も肝心だと思っている)「Reduce(減らす)」は俎上に載っていなかった。
  食料自給率の少なさを番組の冒頭に訴えているのだから、まずは必要以上に食品を作らないこと、作った以上は無駄なく食べて食品廃棄物を出さないことこそが大事ではないか、と思う。かく言う私の家でも、食材を一度に買い込み過ぎて、どうしても食べきれずに処分することが時折あるので反省している。
  「Reduce(減らす)」に関連してもうひとつ思うことは、「消費期限」「賞味期限」に対する消費者の意識の問題である。
  最初に書いたように、昨年は「消費期限」「賞味期限」の偽装が日本中を騒がせた一年だった。製造年月日や「消費期限」を偽ることは生産者として許せない不正であることは歴然としているが、私達消費者がそうした数字にだけ頼っていることにも問題がないとは言えない。
  ある地方では「○○地鶏」と偽って、古っ羽(老鶏)の肉を販売していた。「肉が硬いのは○○地鶏の特徴」と言ってPRしていたと聞いて、私は思わず笑ってしまった。その鶏肉を食べた人は「さすが○○地鶏はうまい!」と舌鼓を打ったのだろうか、と考えたからだ。自分の味覚で判断して美味しいと思わずに、単にラベルに表示されているから「○○地鶏」と信じ込むことでよいのだろうか。多くの人が食べてみて「これ、本当に○○地鶏なの? 肉が硬いだけであまり美味しくないんだけど。」と苦情を言えなかったのだろうか。それだけ私達消費者の味覚が落ちてしまったということか。思い込みだけで行動している、行動させられているということなのか。
  かつては「製造年月日」の表示が義務付けされ、現在は「消費期限」または「賞味期限」の表示が義務付けされているというが、「製造年月日」表示の法制化以前の消費者は皆、自分の嗅覚や味覚で “食べられるかどうか”  “美味しいかどうか” を確認していたはずだ。古くなって傷んだものを食べておなかを壊しても、それは食べた自分の責任だった。それに比べて今はどうだろう。傷んでいるかどうかを自ら確認もせずに口にして、ひとたび具合でも悪くなるとたちまち訴訟だ何だと騒ぎ立てる。自分の舌よりも食品に付けられている日付で判断することが多いのではないだろうか。私たちは、もっと自分の五感を磨き、信じる努力をすべきではないだろうか。
  一昨年、私は重度の花粉症が原因で半年以上もの間嗅覚を失う憂き目に会った。診察した医師からは当初、元に戻ることは諦めてください、という非情な診断を下された。しかし、幸いにも5ヶ月を過ぎた頃から徐々に “におい” を取り戻し、今では昔の8割程度に回復した。担当医にも、こんなに回復するのは例外的に珍しいと言われた。嗅覚がまるで無くなったときには、食べているものの味が判らなかった。例えば “甘い” ということはわかるのだが、それがイチゴが甘いのか、チョコレートが甘いのかの区別がつかないのだった。大好物のコーヒーの香りがわからず、ただ薄苦いだけの泥水にしか感じなかったときは、本当に悲しかった。おおげさと思われるかも知れないが、味覚・嗅覚がないというのは、生きている張り合いさえ失いかけるほどの経験した者でないとわからない大事件だった。聞くところによると、視覚や聴覚と違って嗅覚や味覚の異常は身体障害にはあたらないということだが、ガス漏れを感知できないのも障害のひとつではないか、と思った。
  話題が逸れたが、自分の感性より他人から与えられた情報を信じるようになってから、かつては起き得なかったような残虐な事件が増えてきているように思えるのは、私の考え過ぎだろうか。情報過多の時代にあって、本能が麻痺していくことは大いに憂慮すべきではないだろうか。

  わが家の「消費期限」のバロメータは “私” である。「消費期限」も「賞味期限」も参考に過ぎない。まずは試してみる。おかげで私の胃腸は他の人より丈夫かも知れない。
  冷蔵庫で1週間前の「消費期限」が刻印されている牛乳を見つけると、カミサンは即座に流しに捨てようとする。「ちょっと待った!」と私がコップにひとくち注いで口に含んでみる。「なんだ、大丈夫じゃないか。」と牛乳パックを冷蔵庫へ戻す。呆れ顔のカミサンだが、自宅で自営業をしているおかげで平日の夕食の支度を担当する私の手によって、その牛乳が翌日クリームシチューの仕上げに使われる。そんなことを知らずに、家族は美味しいと言って食べている。それがわが家の日常風景だ。

  少し前に雨水利用の環境講座に戸澤先生をお招きして、実践されている様子のお話を伺った。話題自体も大変勉強になったが、最後に述べられた 「財布にやさしいことは環境にもやさしい」 という言葉が今でも強く印象に残っている。「食」 についても同じことが言えるのではないだろうか。
  環境問題で一番重要なのは、気がついたらまず実践してみること。生きる上で最も基本的な “食べること” から始めるのが一番簡単である。