タイトル:   変化する風景と成長する観察者  
ランナー: 山田 貴浩 (福島工業高等専門学校 電気工学科)



 
先日、私の実家近くの海水浴場である勿来海岸に行きました。幼い頃には、よく夏休みに海水浴に行った思い出の多いところです。大人になってからも海岸のすぐ脇の国道を行き来することは多かったのですが、浜辺に下りてじっくり周囲を見渡すのは久しぶりでした。

 かつて海水浴シーズンには海の家が多数並んでいたところは階段式の人工海岸に姿を変え、九面寄りの崖の下は埋め立てられて陸続きで崖の先端まで行けるようになり、その途中には草まで生えていました。自分の頭の中に残っている、幼い頃に見ていた勿来海岸の印象とはずいぶん変わってしまったと感じました。

  中でも気になったのが、波打ち際から波除のためのテトラポットまでの距離感です。海岸に砂が溜まって本当に近くなってしまったのか? 自分の体が成長したから近く感じられるだけなのか? いろいろ考えを巡らせてみました。

  そして、両方が原因だろうという結論に至りました。確かに勿来の海岸に砂が溜まっていることは、海岸にある鳥居の位置で分かります。かつては引き潮の時には陸続きで行くことができても潮が満ちてくれば水に浸っていた鳥居の土台となっている岩が、今ではずっと砂の上にあります。十数年の間に砂が運ばれてきたのでしょう。それから、自分の体の成長で視点が変わるのは言うまでもありません。幼い頃にとても深く思えたプールが、実はそれほどの深さではなかったというのと同じことでしょう。さらに、海岸を見ることに対する意識の成長もあるかと思います。幼い頃には、それこそ「海は広いな大きいな」だけだったのですが、今では海岸を見る視野や背景となる認識も違っているはずです。

  そう考えると、幼い頃の思い出の地にしばらくぶりに行ったとき、きっと、頭の中に残っている光景や景観と、体も心も成長してから見る景色とでは大きく異なる印象を受けることだろうと思います。ただ、それは、その場所に変化が生じているだけではなく、その風景を見る側の変化も大きく作用するものだろうと思います。

  今、何気なく見ている身の回りの景色を、20年後、30年後に見たら、そこはどのように変わり、それを私達はどのように感じるのでしょうか…。




写真は、昨夏行なった海の景観調査
のときの勿来海岸です。                



次回のランナーは、未定 です。