自然の中の生物経済

大方 昭弘


全地球的に自然破壊が進んでいます。このところ二酸化炭素(CO2)の大気中濃度の増大による地球温暖化問題の解決が国際的な課題となり、その他の環境問題はその陰にかくされてしまったかのようです。
わが国では巨大公共事業がさまざまな批判を浴びながらも着々と進められ、豊かな山地の切り崩しと自然林の伐採、ダムの建設、河川湖沼の恒常的な破壊、河口域干潟・沿岸砂浜域の埋め立て、多様な化学物質の放出による土壌や水の汚染など、自然破壊の波はとどまるところを知りません。私たちの周囲にはどこに行っても人口構築物が立ち並び、舗装道路が網目のように張りめぐらされて、日本の風土にふさわしい美しい自然景観が失われつつあります。
自然景観を人為的に変えるということは、地域の自然を維持している生態系の構造と機能の変化と密接に結び付いています。しかし開発行為の多くは生態系の中の生物の生活すなわち「生物経済」については無視し続けています。
一方、開発等によってゆがめられた自然景観を修復あるいは復元しようとする活動も各地でさかんに行われてはいますが、残念なことに自然の生物経済の構造と機能にまで立ち入った技術的介入はほとんど見られないのが現実です。
今回は、なぜ生物経済に注目しなければならないのか、開発という自然への人為的介入のどこが問題なのかを考える場合の生態学的な見方について述べたいと思います。


1.生物の経済とはいったい何か

私たちの身の回りの自然界にはさまざまな植物や動物が暮らしています。しかし、ある地城にすむ生物たちの暮らし方についてはなかなか見る機会がありません。生物経済とは一般的には生物の生活そのものといっても差し支えありませんが、その生活の具体的な内容を見ますと、さまざまな種類の生物相互間の物質・エネルギーのやりとりによって生態系が形作られていることがわかります。このような生物間のはたらき合いを生物経済といいます。

1) 生物の生きる条件

a. 生活場所と栄養

地球上のすべての生物は基本的には太陽エネルギーの恩恵の下でそれぞれの種類ごとに生活場所を選び、外部から個体維持のための栄養物質を摂取しなければなりません。もちろん水・土壌・大気なども不可欠な条件です。

b. 生物は社会をつくって生きている:種個体群とコミュニティー

ある地域空間の中には同じ種に属する多数の個体が集まって暮らしています。各個体は種がつくる社会の中で個体維持のための栄養摂取・成長・成熟という過程を経て種族維持に参加して子孫をのこしていきます。種ごとの個体群が生存していくためには、他のさまざまな種個体群との栄養物質のやり取りの関係が成立していなければなりません。
このような関係で結ばれている複数の種個体群がつくる社会をコミュニティーといいます。コミュニティーは種個体群が生きていくための種と種の経済関係で結ばれた地域社会です。この経済関係の表し方の一つが食物連鎖あるいは食物網とよばれるものです。
コミュニティーの中の種と種の関係は食うか食われるかという敵対関係としてとらえるのではなく、同じ地域の中で棲み場所や食べものを分け合いながら生きていくための共生的社会関係であると考えるべきでしょう。

2) 生態系の中の生物社会の役割

すべての生物は水と大気の運動の中で生かされています。全地球的な物質の動きに注目すれば、自然界を物質循環系とみることができます。この物質循環系の中で、生物社会や生物の果たす役割に注目する場合には、この自然界を生態系とよぶのが適当と思われます。

a. 生物自身が生活をつくる

自然の中の生物は水や大気の運動に依存することなしにその生命活動を持続することが出来ません。生物は水や大気の物理的運動に依存するだけでなく、コミュニティーの構成員として栄養物質とエネルギーの受け渡しという生物社会の経済活動に参加しなければなりません。この経済活動は生物と生物との直接的な結合関係によるものもありますし、水や大気を媒体として生物から生物への輸送が成される場合もあります。
このように、種個体群はコミュニティーの中の経済活動を通じて全地球的な物質循環過程に寄与することによって、種としての社会生活を維持するための環境条件を生み出し続けているということができます。すべての生物種はそれぞれの地域のコミュニティーの中で、種の特性に応じた地位と役割を通じて生態系の持続的な安定性に寄与しているといえます。

b. コミュニテーの中の種群の役割

植物は太陽エネルギーを利用して無機物から有機物を作り出すことができます。しかし動物は基本的には植物の生物生産活動に依存することなしに生きていくことはできません。他の生物が生産した生体物質を摂取しなければなりません。コミュニティーの経済活動には、種個体群が他の生物の生体物質を摂取して生産した自己の体物質およびエネルギーをコミュニティーの中の他の生物に供給するという役割もふくまれます。
また生物の生活活動の過程で排出される有機物や死骸は最終的にはバクテリアによって分解され、水にとける無機栄養塩類として植物に供給されることになりますから、植物も他の生物の協力なしに生きることはできません。

c. 生態系は弱肉強食の世界ではない

食物連鎖を見ますと、下の方に植物があって植物を食う動物がその上に、さらにその動物を食う肉食動物がその上にあるという風に強いものが弱いものの上になるように画かれることがあります。生物の発育過程、生活史全体を通してみれば、生物社会の経済関係における種の地位というのは一定不変なものではありません。物質循環系の中の種の特性に応じた役割はあっても種相互の上下関係などはないのです。
すべての動物は生まれたものがすべて成長して親になるわけではなく、その成長過程でかなりのものが他の動物の食物として消費され、個体群のほんの一部の個体が生き残って種の社会の連続性を維持しているのです。この法則に例外はありません。したがって、生物社会の経済関係の中ではある特定の種のみが利益を貧り、他の種に優越して繁栄することなどできるはずはありません。
人間社会は生態系の中から自分たちの生活に役立っものや好みのものだけをとりだして資源として盛んに利用し、役立たないものや害になりそうなものはこれを排除する傾向があります。自然の生物経済の中には無用な生物など存在しないにもかかわらずです。

d. コミュニティーは他のコミュニティーとっながっている

ある地域のコミュニティーは隣り合うコミュニティーと密接なつながりを保つことによって経済活動を持続させることができます。この経済的つながりを持続させているのは、水の流動と生物の集団的な移動です。鳥類の渡り、魚類の回遊などはある地域のコミュニティーで生産・蓄積された物質とエネルギーを他の地域のコミュニティーへと輸送する重要な役割といえます。
私たち人間の経済活動によって生物のコミュニティーは破壊され、コミュニティーとコミュニティーの連関も各所で遮断されて、生物経済の機能は極度に低下しています。


2.自然の形とはたらき

地球のながい歴史の過程で地域特有の自然の姿がつくられてきました。人間は自然に対する何らかの介入なしには生きていくことは出来ませんが、近年わが国において進められてきた自然介入のしかたには目に余るものがあります。
自然改変の中でもっとも顕著なものの一つは水辺の形の破壊であります。ここではまず川の水辺の本来の形とはたらきについて述べ、形の改変によって生物経済にどのような問題が生じてくるのかについて考察します。

1) 水辺のゆるやかな傾き

源流域から海に開く河口域までの川の流れを見てみますと、川はその流域の地形にあわせるように曲がりくねりながら流れ下っていきます。川には浅くて流れの速い瀬の部分と深くて流れのゆるやかな淵の部分があります。また流れの中心部から岸にむかって徐々に浅くなって大小さまざまな石や砂礫が堆積する広々とした河原がひろがるところや砂の堆積によって中州ができて流れが二股に分かれるところも見られます。
川の流心部や淵の深みから岸にむかってゆるやかに浅くなっていく形、この河床の形こそが河川生態系のはたらきを維持するためのもっとも大切な形です。

2) 川の自浄機能

季節の移り変わり、流域での降雨など気象の変動にともなって川の水量・水位は常に変動しています。傾きのゆるやかな浅い岸辺や河原は水位の変動によって水中にかくれたり、陸地となって空中に露出したりを繰り返しています。
浅い岸辺には植物の枯枝や枯葉その他の有機物が流れよって陸上に打ち上げられていたり、岸に生える草や木や石のすきまに引っかかったりしています。
このような水辺では空気中の酸素も溶け込みやすく、日射によって水も水底の砂礫もあたためられやすいので、バクテリアや昆虫類の活動はより活発になり、堆積物の分解も急速に進められる場所といえます。
増水時には堆積物は河原全面に分散しますから、礫の間や砂の中にとどまったものは水量が減って河原が空中に露出する時には堆積する有機物の分解はさらに促進されます。

3) 浅い水辺は稚魚たちの保育場

人間の手が加えられていない自然の広い河川敷にはさまざまな形の分流が形成されます。さまざまな大きさの岩石が折り重なり、その間隙に砂礫の分布するところ、岸辺に草木が生い茂るところなど、複雑な河床形態が現れます。
水深数cm以下の流れのゆるやかな礫間や、本流から分かれて水溜りのように流れが極めてゆるやかで草木に被われるようなところ、それらは仔稚魚たちの安全に食物のとれる生活場所です。そのような岸辺には砂礫や草の茎などを生息場としている底生性の付着藻類が繁殖し、ユスリカをはじめさまざまな微小な水生昆虫類の生活場所にもなっています。

4) 河床の形の多様性が生物の多様性をもたらす

上流域から流出する栄養塩類を利用する一次生産者(植物)の大部分は河床の石や砂礫等の表面にくっついて生活する付着藻類(ランソウ類、ケイソウ類、緑藻類など)です。大小さまざまな石・砂礫の堆積のしかたの違いによる河床の複雑な起伏状態は多様な水生昆虫の生息場や魚類の摂食場を形成しています。
空問的構造の多様性は水との接触面積をひろげるとともに付着生活をする藻類や水生昆虫類の生活場の面積を大きくする効果をもたらします。このような自然の川の形こそが川の生物生産力と浄化能力を決定する大切な要素であるということができます。


3.自然はすべてつながっている(生態系の連続性)

地球上には山地、平野、河川・湖沼・河口汽水域・干潟・海洋沿岸域の砂浜・岩礁地帯、さらには大陸棚から深海域へとさまざまな地理空間の中に、その地域固有の生態系サブシステムが形成されています。
生態系サブシステムの中の物質循環はそのシステムの中だけで完結するものではありません。水の流動や生物たちの移動によって隣りあう地域のサブシステムと互いに連結しています。目には見えないこのつながり(生態系の連続性)を通じて広城的な生物経済が維持されているのです。
たとえば、河口域の干潟を埋め立てによって消滅させてしまいますと、汽水域の浄化機能や生物生産力を低下させるだけでなく、隣接する沿岸水域の富栄養化をもひきおこします。その結果として、人間の生活になくてはならない水産資源の極端な減少をもたらすことにもなるのです。


4.人間の経済活動と生物経済との調和

私たちはいま、人間社会の経済活動を自然の生物経済に調和させるための方法を真剣に考えなければならない段階にきています。環境問題の解決のためには、そもそも開発とは何のための開発なのか、地域経済の活性化とは何なのかという本質的問題から議論をはじめる必要がありましょう。
生活の利便性や物質的欲望充足のために、もともと自然界には存在しない物質の大量生産、生態系の物質循環速度と物質の転化効率を超えるような生産速度と効率の追求こそがすべての自然破壊と公害をもたらす原因になっています。
生態系の中の生物生産には限界があります。いかなる技術開発によってもこの限界を超えるような経済成長を実現することは不可能でしょう。人間らしい生活のできる地域の自然を保全できるのは地域に住む人々以外にはありません。
自然の法則を無視し、自己の金銭的利益のみを目的に自然環境を破壊し続けようとする人たちの手に貴重な自然の管理を任せるべきではありません。
try { var pageTracker = _gat._getTracker("UA-11656984-1"); pageTracker._trackPageview();